立ち上げから20年、感慨ひとしおであります。月日の流れは早いですね。
設立総会の折、「我々は建設業者の後継者ではなく、建設産業の後継者となる必要がある。」と、ご挨拶申し上げた記憶があります。
バブル崩壊後の厳しい受注環境の中でも、産業人としての誇りと勇気を持って基幹産業としての役割を認識しよう、との思いでした。
まさにそれが5年前の東日本大震災の時に、東北建設業青年会の皆様のそれぞれの地域での存分なる活躍となって表れ、連携のとれた復旧、復興へつながっていると感じます。
東北6県は広大なエリアです。そして6つの県それぞれに特徴、特性があります。
各県の建設業協会においての、会員企業加盟の実情、本部・支部の形態、さらには青年部の卒業年齢の違いなど、交流して知るごとに、各県の皆さんが色々と苦労と工夫をしながら決め事をしているんだな、と感じました。
現在、地方創生という理念のもとに国土の均衡ある発展と地方の再生が叫ばれています。たしかに、東京一極集中の是正は言われ続けていますが、改善されるどころか益々その度合いを強めています。
こういう時こそ、各県地域、ひいては東北6県が一丸となって、自分たちの持つポテンシャルの高さをアピールしていく必要があると思います。
プロジェクトを受けてこなす立場から、プロジェクトを立ち上げる立場に、さらにはエリアマネージメントに青年会が関われるようになったら素晴らしいですね。
会長在任中、福島市で総会を開催させていただきました。
その総会の折、福島県、そして福島市の青年会の皆さんに多大なるご協力をいただきました。
総会の段取りから各県のごとの2次会の設営、そして次の日の記念コンペ・・・。
楽しく、また、有難い思い出です。
あの時一緒に活動した6県の仲間とは、今も時折連絡を取り合って各県の温泉で一献酌み交わしており、いい交流を続けさせていただいております。
PS.大槻専務さん、青年会のためにも、青年会OBのためにも、
まだまだがんばってください。
東北全体の「ネットワークを創ろう」と一生懸命で、宮城県の方々が中心になって立ち上げに頑張ってくれました。わざわざ秋田まで、説明に来てくれたのには、感心しました。私は、「井の中の蛙」で、自分のことしか考えてないことを恥ずかしく思いました。
全国の集会に行って、キッチとした組織をつくっているのは「東北だけ」と気づきました。他の地域は、なかなかまとまれない。東北人の「人柄の良さ(協調性)」を感じました。
大きな目的の一つに、「建設業界の社会的地位の向上」があると思います。行政との意見交換などを通して、「請け負け」体質はかなり改善され、甲乙対等に近づいて来ていると思います。内部的には、ボランティア活動などを通して、地域に認められる存在となるように頑張ることです。「私心を捨てる」ように精進したいものです。
県外の方々が、「地域の経済人」として建設業以外の異業種との付き合いをしていること。そして、地域の一般市民との交流し、「地域おこしに」頑張っていることが大変良い刺激になりました。
また、各県の建設業界の事情を知ることで、秋田県の業界の問題点を考えさせられました。各社の「悩みや夢」を聞くことで、勇気をもらい自社の改善に生かせました。
広域的に、色んな業界の方々とネットワークを持つべきです。そして、地域社会と関わっていかねばなりません。地域づくりに、積極的に参加することです。「利他行」を行うことです。地域があっての自社です。そして、自社の経営に必死で頑張ることです。自社の経営安定が全てのベースです。
初代会長の菅野さんから、2代目の会長就任を要請された時、消極的な私は「その器でない!」とハッキリお断りしました。そうしたら、仙台の先輩から「どうしても受けて頂きたいので、秋田にお伺いする」との電話がありました。「そこまで言われるのなら…」とお引き受けしました。
3代目の会長を向田さんにお願いしたところ、一言返事で、にこやかにお引き受けしてくれました。その前向きさに感心しました。副会長として、未熟な私をよく支えてくれました。青年会のロゴマークを即、創ってくれました。色々と良きアドバイスを頂きました。彼には、いまだに頭が上がりません。
青年会は、内気で引っ込み思案の性格を積極的・前向きに変えてくれました。青年会には感謝、感謝です。
当時は建設業に対する悪いイメージばかり強調される風潮がありましたので、6県青年会として力を合わせて発信力を増し、建設業の本当の姿を認識していただけるよう腐心いたしました。
それぞれの地域で事情は違っても、抱える悩みは同じなのだということをあらためて感じました。
建設業の役割、あるべき姿を自ら考え、提言実行していくことが大切だと思います。
放送作家の久間さんにお世話になりながら、みちのく漫遊記というラジオ番組を立ち上げ、各地を回ったことがよい思い出となっています。
私が会長に就任した時代はバブル崩壊が現実の生活に実感として反映され、金融機関の破たんや銀行統合がおこなわれ、企業倒産による負債が問題となっている時でした。そういう状況で、地域のために地域に根ざしている建設業への公共投資が必要であると訴えていたのですが、ITバブル等に注目が集まり、公共投資には景気回復の効果が無いと言われる始末でした。なんとか世論を変えたくてラジオ放送によるイメージアップや東北の土木遺産のPR等を展開しました。しかし、平成13年には中央省庁の再編があり4月には聖域なき改革、抵抗勢力はぶっつぶすというスローガンで小泉内閣が成立したのです。これ以降改革の痛みとして東北地方、特に公共事業による景気回復効果は低下したと思います。
当時はFOMAがまだ始まっておらず、携帯の加入数が5000万人(普及率40.4%)を超えたのが平成11年であり、現在の様に写メや動画等はまだ一般的ではありませんでした。しかし、運転中の携帯禁止でかなりの数が検挙された事からも、どこでも通話できる便利さが一番重要な事でした。当時は山間地域でどこの会社の携帯の電波が届くのかが話題の中心でしたし、移動しながらマルチに仕事をこなせるツールへと進化する可能性を感じていました。
東北建設業青年会は設立して20周年をむかえる事が出来ましたが、設立まで多くの先輩方が、宮城や秋田、岩手、山形、福島の青年会と交流をもち15年以上の交流、準備のうえで設立されました。東北だけでも、これほどの準備や交流が必要だったわけですから、まして全国の青年会においては何度も交流や議論を深めなければならないと思います。特に、人口問題を含んだ地方と都市部との格差解消の問題等は全国青年懇談会や会議においても早くから議論されてきました。これからも大いに検討すべき課題と思います。
特になし
公共事業が悪いような風潮が流れる中で、政権を握ってきた自民党から公共事業の削減を打ち出したことは大きな衝撃でした。
無駄な公共事業もあったのは現実で、もっと地域の市民の意見を反映させた意義のある事業を実施するためにも、我々地域建設業が受発注者の関係から地域づくりのパートナーとして活動しなければと考えさせられた時代です。
そんな中で公共事業の必要性と地域建設業の役割を広く知らしめるために「公共事業は悪ですか・・?」のパンフレットを製作し各関係機関に送ったことや文化放送の番組でPRしたことなど思い出されます。
現場での状況を映像で確認するなど、飛躍的に画像による情報伝達が進んだと思います。
今まで以上に中央と地方の格差が増していく時代ですが、日本の未来は元気な地方の存在なくしてありえません。東日本大震災における各地の建設業界の対応や地域の安全安心を支える存在は、地方の建設業まさしく地域に根差すドメコン(ドメスティック コンストラクション=造語)です。
是非、これからのドメコンを担う青年会の皆様の活躍を期待します。
ある時の会議が白熱して2時間以上遅れての懇親会になりホテルの中華レストランにご迷惑をかけたことなど多くの思い出をいただきました。
公共事業、建設業へのバッシングが強くなってきた時代だった。建設業の正しい理解と評価を得るためのラジオによる啓蒙活動、「みちのく漫遊記」と題した、ラジオ番組を3年連続放送するという取り組みの最終年度で、東北6県のラジオ局と東京の文化放送を結んで放送したこともあり、それなりの効果が得られたのではないかと思う。
当時のプロジェクトチームのメンバーで、東京都庁の文化放送特設スタジオで生放送の様子を見学させてもらった事も印象深い。
携帯電話が普及する事により、現場と発注者や会社との連絡、材料の注文など画期的に便利になった。現在のスマートフォン、通信インフラなどとは比べるものもないが、メールで写真を送るなど出来るようになったことで、災害時等にリアルタイムで情報が共有できるようになってきたはしりの時代だったように思う。
我々、地方の建設業者は、何よりも地域に密着し、その地域に生活する人々の暮らしを守っていくという事が最大の使命かと思います。それは、5年前の東日本大震災、また、度々起こる大水害などの時にもかなりの役割を果たせたのではないかと思います。
しかしながら、公共事業の削減等により我々の力が少しずつ衰えてきています。
何とかこれに歯止めを掛けるために、親会とも連携しながら様々な活動を継続していってほしいと思います。
青年会の活動をしていたころは、各県の会長の歳が近い事もあり、仙台での会議の後はよく飲んで懇親を深めた。また、各県のイベントにも招待して頂き、東北6県すべてにお邪魔し各県の会員の皆さんとも懇親を深める事ができた。最近はOB会にもなかなか出席できないが、その頃一緒に活動していた仲間は、いつまでも大切な友人だし、財産だと思う。
東北建設業青年会は、各県それぞれに活動が活発で、全国会議等でも内容のある意見・情報を多く発信していました。年代の近い経営者の発想や北海道から九州までのそれぞれの地域の特徴を感じられる良い交流が出来たのではないかと思っております。
とりわけ東日本大震災での、東北・北海道、全国からの応援をいただける仲間、人間関係を築きあげられた事が、大きな財産と成っております。
宮城県は、一般競争入札(宮城方式)が導入されて間もない時期でした。
建設産業への理解と重要性を感じていただける活動と情報発信に宮城から東北へ、そして全国へと伝わる事に力を入れました。
建設産業だけに限らず、問題は山積みしている事と思います。特に言える事は少子高齢化による労働力不足と社会福祉予算の増大でしょう。それらへの対応と発想努力が必要だと思います。
10年も経過したので忘れました。しいて話せば山形県の会員は酒が強いなと感じた事です。
最後になりますが、東北建設業青年会20周年おめでとうございます。
東北6県に仲間ができたこと。
また、そのネットワークにより東日本大震災の復興のお手伝いをさせていただけたこと。
特にございませんでした。
毎年7月28日を東北一斉の工事現場清掃活動にしようと企画実行し、現在も継続していること。
青年会全員が各地においてリーダーとして地域になくてはならない企業を目指して活躍し、これまで受注させて頂いてきた企業様から、また地域の皆様と環境を第一に考えた仕事づくりの推進に取り組んでいただきたいと存じます。
東北6県から集まる仙台では、役員一同大変お世話になりました。
様々なパンフレットを製作し、問題提起をさせていただきました。
(『公共事業は悪?』、『我らで築こう!建設業の健全な発展 強く美しい東北』など)
10年経った今でも交流ができる仲間がいることは大切な財産になっている。
特に震災のときは、真っ先に連絡を取り合い助け合えた。
文化放送をキー局に東北6県の民放ラジオ局をネットし、各県の魅力や社会資本整備の必要性、地域に根ざした建設業の役割をアピールした。
平成17年は「独禁法」の大きな改正もあり、業界の一層の法令順守が望まれていたため、主要事業としてコンプライアンスの強化に向けた勉強会を開催し、各県青年会において、コンプライアンスの強化とより一層の社会責任を果たすため行動憲章を記したパンフレットを作成して会員に配布した。なお、方針の浸透を図るとともに発注機関等にもPRした。
度重なる大きな災害により、我々建設業の果たすべき役割が大きくなってきている。
しかし、まだまだ東北は脆弱な国土から脱皮していない。
今だからこそ、災害に強い社会資本整備の必要性を若い皆さんに声を大きくし、訴えて貰いたい。
文化放送スペシャル・春のみちのく漫遊記
文化放送でダニエル・カールさん、竹村公太郎先生との対談を収録したときに、とても緊張して声がうわずってしまった。
仙台での会議終了後の懇親会で、青森の大見君そして私がそれぞれ大間のマグロ、米沢の米沢牛を持ち寄り皆で食べた。そのときの大間のマグロの美味しさが忘れられない。
世間的には公共事業はバッシングを受けていて、入札制度も最低制限が無い底なし沼状態で大変な時代でした。品確法が制定された翌年ということもあり、全国会議の中でも宮城、仙台の混乱状況を発信し続けていた思い出があります。在任期間一年の間に子供110番パトロール制度を作り、全国に発信し、現在も継続して地域建設業の果たす役割の一部となっています。
当時は人手不足問題よりも、受注量の減少に伴い、採用を抑えていた時代でした。そのツケが今の建設業全体が抱える大問題になっています。
当たり前が当たり前でなくなってしまってからでは遅すぎる。目に触れる全てのモノが建設産業により支えられています。みなさんの家、学校、オフィスビル、鉄道、飛行場、水道、電気、ガス、下水道、これらを維持して文明的な生活を支えているのは我々建設産業です。日本にとって災害は宿命です。それを復旧できるのは我々しかいません。将来の日本のために若い力と知恵で頑張ってください。共に地域を支えていきましょう!
山形の大田会長から引き継いだ一年、東北6県の会長、会員と全国の各県の会長とも親交を深めることができました。(毎回全国大会で発言していました)そのおかげで震災時、全国の仲間からご支援を頂く事が出来ました。感謝報恩!
平成19年は公共事業悪玉論など逆風下で公共工事が減少の一途をたどっていた時期である。しかし、最低限のインフラを維持するため底打感も見え初めていた。建設業界は対外発信が下手である。当時は子供の物騒な事件が多く“子供見守り隊”の六県での展開やTV番組の制作、ラジオでのPRなど違った角度からの試みをしていた。これからも青年会は建設業界のチーフインフォーメーションオフィサーの役目を担い続けて欲しい。
近年、建設業界の若年層の就業比率が下がっているようだが、地方は人口減少が進み雇用の確保、新しい事業の創出課題が山積している。企業はこれらの山積された課題に果敢に取り組んでいかなければならない。
大事なのは企業も人も、廻りと比較することなく独自の成長することである。永続可能な成長企業には自然に人が競い集まることだろう。
第3次安倍内閣では地方創生が挙げられている。地域格差を解消し、成長への道を敷きしていくには、北海道、東北の広域経済圏を作りあげていかなければならない。このように広域経済圏ができることで一極集中が生んだ経済的、社会的歪みも、少しは解消されると思う。 東北が今後も持続可能な成長をしていくためには、地域格差を解消し、企業のあり方だけでなく、暮らしのあり方、経済圏域のあり方まで踏み込んでダイナミックな変革へ進むことが必要であります。今後の東北建設業青年会の活動と実行力に期待します。
最後になりますが12代目会長という貴重な経験と機会を与えていただいた皆様に深甚より感謝を申し上げます。
歴代の諸先輩方の活動を踏まえて、さらに建設業のPR・社会貢献などに力を注いでおりましたが、建設不況の中で会員数も減少し、我々が出来る可能な範囲を模索していた気がします。
しかしながら、継続してコツコツと活動を行っていたことが現在に繋がっていると感じています。
人的被害も引き起こした地震ではありましたが、土砂災害が大きく取り上げられ、その後の復旧工事などで、人員・機材の不足などが取り上げられました。
青年会のネットワークの中で情報共有し、出来る限りの支援と、その後の防災対策について検討しました。一番は緊急時の地域建設業の必要性を強くアピールした点だと思います。
当時は人員不足という状況など想像もできないくらいの建設不況であったため、人材確保・育成という面では目立った活動はしていなかったと思います。
しかし、建設産業の魅力を含めたPR活動を通して広く訴えていたと思います。
建設業は時代の波に翻弄され、不安定な状況が続く産業ではありますが、確固たる信念と、必要性の理解を怠らず継続していくことで、これほど魅力的な産業も他にはないと感じています。その為には迅速な情報収集と幅広いネットワークが必要であり、その最適な手段として青年会の存在は重要だと思います。
これからも是非参加し、利用し、広がっていく青年会であってほしいと思います。
青年会で学んだこと、知り合った方々が、今の私を形成する大きな糧となったことは間違いありません。苦労したらその分だけのやりがいを手にしていたと思います。特に会長職の翌年に全国会議の実行委員長を務めさせていただきましたが、大変貴重な経験をさせていただきました。この場を借りて改めて関係各位に感謝申し上げます。
当社は青森県の日本海側に所在しているため、震災の直接的な影響は少なかったものの、間接的な被害、停電や燃料の配給の遅れなどが影響し、特に地元自治体や消防署などが燃料の不足となるために真っ先に要請に来ました。後日役場職員や署員から聞きましたが、建設会社なら(建設機械や燃料などを含めて)何でも持っているだろうと考えたそうです。小さい町ですが地域に必要とされている産業であるということだと思いました。
第14回全国建設青年会議の幹事ブロックとして全国大会を開催した事です。大会長を務め、実行委員長の秋田県の大沼会長とともに1年以上前から準備をしてきましたが、その年の8月に民主党政権になったため国土交通省の職員が出席できなくなり、建設業界だけのかなり身内的な大会になってしまったことが残念でした。
東北建設業青年会の目的の一つに、建設業界が正しい理解を得るために活動することとあります。設立当初からパンフレットを作成したりラジオ番組を制作して、今では技術者物語を作成しています。これらは青年会でしかできないことだと思います。これからも青年会らしい「情報発信」をしてほしいと思います。
会長職を引き受けるかどうか態度を保留し悩んでいた時に、たまたま仙台駅で建設新聞社の渡辺さんと遭遇し、「いろいろ思うところがあるでしょうが、みんなのご要望に応えるのも必要ですよ」という言葉をかけていただき、それで会長を引き受ける決心がつきました。(なぜそのとき渡辺さんが態度を保留していたことを知っていたのか今でも疑問に思っています。)
震災の直後、私のエリアは、地震の被害が大きく、いたるところで道路が陥没し、建物が全壊しました。道路等インフラの応急・復旧や、建物の復旧、町の復興には、大きく貢献したと思います。
震災前は、公共事業が悪であるかのごとく扱われ、建設需要が激減し、多数の企業が淘汰され、また残っている企業もそれぞれが生き残りをかけ、競争が激しい時期でした。業界内の空気感も悪く、業界団体の活動に、疑問を呈す企業もありました。そのような状況下、いかに青年部をまとめ、活動を盛り上げようか、苦労しました。
いずれまた、企業間の競争が激しい時期がくると思います。しかし、業界全体を盛り上げ、活性化させるには、青年会のような組織が団結し、今後、業界が成長発展するようなアイディアを出して、行動することが大切だと思います。今後、ますますのご活躍を期待しています。
全国の会議に参加すると、全国各地区の代表とコミュニケーションをとることになります。各地区の建設需要や組織母体、代表の考え方がまちまちで、同じ建設関係の業界団体で、まちまちな考え方があることに、とても面白みを感じました。
直ちに協会本部に災害対策本部が設置され、会員企業は自ら被災しながらも被災現場に駆けつけ、道路啓開を開始していた。「俺たちが地域を守る」という使命感から、協会の総力を挙げて、遺体捜索や燃料・食糧・衣服の提供、さらには遺体の仮埋葬、腐敗した水産加工物の処理まで、あらゆる要請に応えた。
緊急対応が終わると、崩壊したインフラや建物の復旧・復興事業が待ち受けていたが、事業量が膨大だったため、施工までの調整・計画が整わず手待ちが長期化。人員も資材も大変窮屈な中、現場技術者は厳しい条件の下で懸命に闘い続け、課題に直面する度に関係機関に要望活動行うなどの後方支援を重ねてきた。1日も早い復興を望む地域に応えようと、現在も闘い続けている。
震災前に、会長を引き受けることとなり、年々建設投資が減少する中、どうしたら、生き残れるかということを、話しあっていくことだろうと思っていました。
実際の会長を拝命した、震災後は、気持ちの切り替え、東日本大震災の復旧・復興の状況をどう発信していくか、という部分で苦労しました。
同じ悩みを持つ、同世代の仲間と、いろいろな相談をして、自分の励みとなるよう頑張ってほしい。
震災後、全国各地の青年会の方々に、激励の訪問と、多くのご支援をいただきました。中には遠方の青年会から、大型バスで3日間かけて、支援品を運んできていただきました。それを宮城県の青年会で被災地まで運んだ時の被災地の景色と会員の頑張っている姿は、今でも忘れられません。
震災の翌年に会長職をつとめましたが、我々建設業の震災時の働きがほとんど認知されておらず、かなり悔しい思いをした。
ある程度の広報活動が必要と思います。
技術者物語を創刊したり、工業大学の学生と意見交換の場を設けて、若年層に建設業を理解してもらうこと
建設業を目指す若者を増やしていかなければならないと思います。
被災地の会長と言うことで、全国大会においてパネラーを依頼された。
全国の皆さんに、物心両面にわたる支援に感謝申し上げるとともに、被災地の現状を説明したが、かなり緊張した。
震災から2年が過ぎ、復興に向けての官民の計画も固まりつつある時期であった。しかしながら、官公庁発注工事においては入札不調も相続き、復興工事の進捗率は低く、早期の復興は難しいとも感じられる時期でしたが、東北管内の建設会社は公共民間と復興需要もあり、職人や、下請けの引き合いが多く、急激な需要増に驚かされた。
災害に強い社会資本整備の必要性・重要性を理解、促進、活動を展開することです。特に、公共事業・建設業界に対する理解不足によるマスコミ等の公共事業不要論に対し、入札契約制度の諸問題を含め、「真の姿」を理解いただく広報活動を積極的に行っていくことでした。
東北管内の建設業青年部のコミュニケーションです。入札契約問題や、地域特有の問題を話し合い、東北青年会で共有し、問題を解決に結びつける手段をここで見つけてほしいと思います。
また、担い手育成のための施策を積極的に実施するべきだと思います。
全国大会で東北建設業青年会のPRと震災にかかわるプレゼンをしている最中にパワーポイントが逆に動いてしまい、焦りました。私も焦りましたが、一緒に見ていた東北青年会のメンバーはもっと焦ったと思います。
東日本大震災の集中復興期間の4年目の年に会長に就任いたしました。
われわれは、基幹産業・危機管理産業としての責務の遂行にあたり、この震災を風化することなく語り継ぐことが必要であると考え、情報発信してまいりました。
建設業の魅力向上(中学生を対象とした体験型現場見学会等)や若手人材の確保・育成
地域住民の安全・安心を守るのはわれわれ建設業の使命であり、そのためにも、10年後、20年後の未来を想像し、社会基盤整備や地域の担い手となり、若手従事者の確保を最優先とし、地域と国土を守り、社会の繁栄に貢献していきたい。
平成21年度から、理事としてお世話になって以来、全国の同士の皆様と交流をさせていただいて、大変勉強になりました。会長就任時には、全国建設青年会議が第20回大会を迎えることもあり、青年会議のあり方を見直すこととなり臨時会長会議まで行い、議論したことを思い出します。
震災で多くの人命が犠牲になったことは本当に痛ましいことです。皮肉なことに震災によって防災減災の意識が高まり、社会資本整備・建設業の重要性が社会に認知される結果となりました。しかし、震災から5年が過ぎ、人々の記憶が薄れ、そして国の予算も減少に転じました。
あの痛ましい、悲しい、切ない記憶を後世に伝え、決して再び繰り返すことの無いよう強い国土を構築する重要性を、今こそこの東北から訴えていかなければなりません。
青年会で取り組むべき課題は多岐にわたりますが、今年度は特に担い手の確保・育成に係る諸活動に重点を置いています。技術者物語の発刊や就活ゼミ、東北工業大学との意見交換会などに取り組む他、各県青年会においても学校訪問や講習会、行政との意見交換会などを積極的に展開しています。
先ずは、昨年4月に運用が開始された担い手三法における受注者責務を確実に果たすことが重要だと思います。具体的には、働く環境の整備です。これはわれわれ若い世代に課せられた使命であり、それを果たしていくことが、建設業の、そして日本の未来を切り開くと信じています。
同時に、変わりつつある建設業本来の姿を正しく社会に伝えていかなければなりません。
これら二つが青年会のやるべきことであり、強い決意を持って取り組んでいく所存です。
大槻専務理事はじめ諸先輩方、各県会長様、役員の皆様、そして会員の皆様にとにかく支えていただいてばかり、というのが率直な感想です。
頼りない会長ではありましたが、おかげ様でなんとか一年間の役目を果たすことができました。
心よりお礼申し上げます。
20周年は節目であると同時に、通過点でもあります。未来の東北建設業青年会のために、微力ではございますがお役にたてるよう精進してまいる所存です。